中江藤樹の学問は、又左右衛門や加兵衛たちの行いによって、 琵琶湖の波のように静かに、ひたひたと周辺地域に広がってい き、いつしか、中江を「近江聖人」と呼ぶようになった。しか しそう呼ばれたら、中江は草場の陰で、「とんでもない。馬方 の又左右衛門さんや、漁師の加兵衛さん�「自反慎独 自反尽己」(中江藤樹) 「孟子は"自反"(じはん)を説く。これは、"論語"・"孟子"の根本精神といってよい。 自ら反(かえ)らざれば、それは自ら反(そむ)くことになる。」(安岡正篤名言の王国へようこそ 中江藤樹(なかえ・とうじゅ)経歴(プロフィール) 慶長13年~慶安元年(1608年~1648年)近江国(滋賀県)出身の江戸時代初期の陽明学(ようめいがく)者。わが国初めて陽明学を講じたものとして当時の人々に尊敬された。近江聖人と称えられた。
日文書籍 傅斯年圖書館